1ヶ月前、新華社記者「範敏達」さんは四川涼山へ行き、山地に住んでいる貧困児童に密着取材した。写真と文章で、「不幸の中で純真な心を持ち、貧困の中で学校に行きたい」子供たちの人物像を記録した。

 その中から、記者は、ある小学生の書いた作文を薦め、「世界中で最も悲しい小学生の作文」と呼んだ。作者の名前は「苦依五木」。ペンネームは「柳彝」で、涼山に住んでいる小学四年生のイ族の女の子である。

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 四年前、お父さんが死んだ。
 生前、お父さんは私のことを一番かわいがっていた。お母さんは毎日おいしいご飯を作ってくれた。お母さんもお父さんに会いたかっただろう。
 お母さんは病気になった。町に出た。西昌に行った。お金がなくなったが、病気は治らなかった。
 あの日、お母さんが倒れた。お母さんを見て、心が痛くて、私は泣いた。私は「お母さんは絶対よくなるから、応援する。私の作ったご飯を食べて、休めば、治る」とお母さんに言った。
 次の日の朝、お母さんは起きられなかった。苦しそうだった。仕事から帰ったばかりのおじさんを呼んで、お母さんを町に連れた。
 三日目の朝、病院へお母さんのお見舞いに行った。お母さんはまだ目が覚めていなかった。私はやさしくお母さんに手を洗ってあげた。お母さんは目覚めた。
 お母さんは私の手を握って、私のニックネームを呼んだ。「妹妹、お母さんは家に帰りたい。」
 私は「なんで?」と聞いた。
 「ここは落ち着かない。家のほうが落ち着くから。」
 私はお母さんを家まで送った。ちょっと座って休んで、私はお母さんにご飯を作りに行った。ご飯ができて、お母さんを呼んだら、お母さんはもう死んだ。
 教科書で「日月潭」というところを見たことがある。あれが、娘がお母さんに会いたかったため流した涙だ。


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 苦依五木さんの日記にこのような内容が残った。お父さんは四年前亡くなった。お母さんは一人で家族を支えていたが、その後、体調を崩して倒れた。貧困のため、あまり病院に行けず、結局、亡くなってしまった。

 記者が取材に行った「甲拉村」には以前学校もなかった。子供たちは学校に行きたいなら、一時間以上歩かなければならなかった。そして、山道が険しく、雨の日にはさらに泥だらけで、馬や羊などの家畜までたまに崖から落ちて死んだりした。そのため、親はあまり子供を危険にさらして学校に行かせたくなかった。現在、学校は建てたが、教室が狭すぎて、半分ぐらいの子供はまだ学校に行けない状態だという。

 甲拉村は非常に遠くて交通が不便であるため、教育支援のために来ている2名の教師も非常に生活に困っている。携帯電話の電波も届かなければ、収入源もない。生活は、村民から贈られたじゃがいも、チンゲン菜、麺類などで維持している。

 「孫傑」という先生はこう言った。「村民たちからの支えは一番大きな原動力である。ある日、学校をサボった子がいた。お父さんに耳を引っ張られて学校まで連れ戻されて、私の前で『先生はこんなに多くのものをお前に教えたから、お前を殴って殺す資格もあるよ』と子供に怒った。あの時は、どんなに寂しくて苦しくてもやりがいがあると思った。」

 涼山で教育支援を行っている先生たちによると、教育を重視していない保護者がまだたくさんいる。学校でいたずらする子供も少なくない。ただ、学校に行きたい、山を出たい、という強い願望を持っている子供のために、何をしても後悔しないという。

 この話題に対して、中国のネット上の反応をまとめた。
引用元:騰訊新聞記事コメント 続きを読む